こまにまにこ’s blog

夫と子どもと世間をみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

お世話とは何か…?

お世話をする立場にある人は、なぜお世話をするのか。

 

お世話対象者が世の中の規律からはみ出さないように、

お世話をいうものがあるのかもしれない。

と、ふと思った。

 

もし規律がなかったら、

お世話をする人は少ないのでは?

お世話する側もお世話されている側も、もっと自由になるのでは?

 

そんなことが頭をよぎった。

 

赤ちゃんのお世話。

まずは自分で歩けるようになるまでお世話する。

こどものお世話。

これから大きくなって社会に出ていけるようにお世話する。

お年寄りのお世話。

身体の不自由さが出てくるので、周りが支援する形でお世話する。

 

もし、独りよがりな状態が可能な世の中であったら、

お世話の必要性は感じないかもしれない。

 

現実は、

人間社会の中で生活している。

個々は社会の一部である。

 

もし、規律からはみ出しても良かったら、

頑張ってお世話する必要はなくなるかもしれない。

 

規律を遵守する人は、お世話を頑張りすぎているかもしれない。

 

規律。

ときには守れないことだってある。

人間は機械ではないのだもの。

 

規律。

もう少しあそびを持たせると良いかもしれない。

100点満点ではなく、60点ぐらいを保てれば許容する。

 

お互いの見張りあいっこ。

これが現代では行き過ぎなところがあるように思う。

寛容さの欠如によって。

 

現代のお世話は過度な対応も多い。

本来のお世話は支援程度ではないだろうか。

過保護の弊害も垣間見える昨今だ。

 

お世話の目的を見失ってしまっているのかもしれない。

 

「何のために今このお世話をしているのか」

ときどき立ち止まり、この自問自答をしてみたら、

お世話の仕方、お世話する時の気持ち、お世話の必要性など、

色々と見えてくるのではないだろうか。

 

規律通りのお世話ではなく、

規律内の我流のお世話ができると、

お世話がお節介ではない、お互いの喜びとなるかもしれない。

 

手を焼くのもほどほどに。

 

 

 

 

 

 

 

ミニマリズムから気づいたこと。

ミニマリズムな考えに、

「今現在は不要なので手放して、必要になった時再び手に入れる」

という考え方がある。

 

これは現代だからこその言葉だなと感じる。

通販社会で、頼めば翌日に宅配が来る。

瀕した環境を知らない人の発想かもしれない。

大抵のものがすぐ手短に手に入る時代。

私もその時代しか知らない。

100均での購入と手離しの繰り返し。

これは使い捨て感覚の消費の仕方。

お手軽さ。

その名の通り軽率な行動に出ていた。

 

ものづくりの時代を知っている先人。

その方々は「もの」を単なる物として見ない。

その目の前にあるものの裏側を想像している。

それがどのように出来ているか観察し、出来上がるまでを想像する。

ものの組みあがり方、出来栄え、それから材質。

総合的なものの見方。

 

手に取るもの、手に入れるもの、

あらゆるものに対して、表面の上面だけを見るのではなく、

その奥の、ものが出来上がるまでの時間や工程、作り手の想い…

そこまで想像できるものを丁寧に扱う心、

今の私にはその心が不足している。

 

「想像を馳せる」

人間だからこそできる技。

”人間力発揮”ができるようにするために、

日常を丁寧に暮らす心掛け、

毎日の新しい発見を楽しむ心、

そして、今がいつも幸せと感じる感性、

それらを再び蘇らせていこう。

 

気づくことから日々を変えていく。

前進しては寄り道して、後戻りして、また前を向く。

 

繰り返し繰り返しで気づくこと。

気づいたことに喜びを感じ、

そして工夫を凝らしていく。

 

観察、想像、行動、学習、予測、

そうしたら、腑の落としどころに辿り着く。

 

これからも繰り返し繰り返しで、

毎日、自分更新。

みんなで、行進行進!!

 

 

 

 

 

筋の通った日本の季節

日本の四季

 

冬に常々思うことがある。

ああ、すごく寒い。いつまでこの寒さは続くのか…。

しかし、一生続くのではない。

また春がやってくる。

 

そんな寒い季節になる12月。

日照時間も最短になる12月。

でも冬至を過ぎれば少しづつ日照時間も増えてくる。

 

そして寒さが深まり迎える新年。

心機一転の気持ちよさ。

 

更に寒さが一層下がる2月。

夜明けの時間は早くなる。

 

この、日の昇る時間が早くなると、春が近づいていると感じる。

 

だんだん花も増えていき、

3月4月にはあの淡いピンクのやわらかな桜が咲き誇る。

 

このサイクルがとても素晴らしいなと常々思う。

どん底に寒い時期でも、日の出時間が早くなるので、

気持ちは明るくなっていく。

 

春を待ちわびて迎える満開の桜。

行く先々で見かける桜並木。

 

みんな大好きな桜の木。

 

そんな桜の季節に新年度が始まる日本。

虫や鳥や植物、様々な生き物が目覚める季節。

 

新生活を始めるのに持ってこいな気持ちの良い季節。

 

日本の一年の流れが理にかなった動きになっているのだと改めて実感。

 

自然の流れに沿うように、歩み寄り、寄り添い、わかち合う。

 

この日本の時の刻み方がとても誇らしい。

 

今日は5月18日、気温がだいぶ夏に近づきつつある。

眩しい太陽の日差しに、熱い太陽の光。

時折吹く風が心地よい季節。

 

それぞれの季節の良さを感じ、次の季節を恋しく思う。

季節を楽しむ工夫をこれからも。

 

 

 

 

完璧な健康は目指さない

健康と一言でいえど、個人によって程度の差はある。

ならば、健康の度合いも人それぞれで、

完全な健康の人もいれば、そこそこ健康な人もいる。

定義づけは一概に難しい。

 

私個人で考えてみると、身体のサインがどのくらい出ているか、

湿疹、吹き出物、便秘、身体の硬さ、冷え、シミ、イライラなど。

これらのどれかの症状が数日から一週間と続いたら、食事を見直す。

 

今では、あれを食べたらこんな症状になるなど、食べ物と症状との結びつきが把握できるようになってきた。

 

立て続けに症状の出る食べ物を食べると、立て直すのにも時間を要する。

食べ続けた1.5倍ほどの時間が、改善するまでに要する時間。

 

身体は正直だ。

なのでその身体から発せられる症状をいかに察知するかがこちらの役目。

症状がない状態は、やっぱり何かにつけてパフォーマンスが良い。

症状が一つでもあると、その症状が気になって集中力に欠く。

 

長年食べ続けた食べ物への依存に中毒。

これらを一切とりさることは現状ではできない。

お金を持たず、自給自足の生活をしていれば、断つことができるかもしれない。

でも今は、現代社会の中でまだまだ暮らしていく。

 

そして、不完全なこの健康状態が、何より好きなのかもしれないのだ。

今日は吹き出物がでたな、シミが増えてきたな、便秘が続いているな…。

こんな症状が出た時、「世話の焼けるやつだな」と自分に対して思っている。

だからこそ自分を労わってあげる。

 

こんな循環が日々を彩っているところがあるように思う。

こんなことがあっただの、あんなことがあっただの、誰かと会話する時のネタに。

 

どちらかというと自虐ネタが好きなので、悪いことがあった方がネタになる。

そんなこともあり、常々爽快すぎては話題がない。

 

話題作りのために不健康になる必要はないけれど、

問題が何もない状態もちょっと不具合に感じるのだ。

 

弱い自分が可愛いのだろう。

 

自虐することで生きている実感が湧くところもある。

結局のところ、自分に甘く我がままなのだ。

 

こんな調子で自分の都合で、食べ物の塩梅も決めていく。

身体と相談していこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

歯磨き粉で4毒中毒再来。。。

昨年後半の出来事。

歯のホワイトニング効果を謳った歯磨き粉を常用したところ…

奥歯の歯茎のあたりが常に甘い味を醸し出すように。

(これまで、歯磨き粉は15年以上使っていない生活をしていた。)

 

そして、甘いもの中毒になっていた。

ときどきお菓子を頬張り、徐々に量や頻度が増えていった。

 

4毒抜きに勤しんでいた私はいずこへ…

 

甘いものから派生して、乳製品、植物油、小麦…

甘い物の4毒オンパレードに走ってしまった。

振り出しに戻ってしまったのだ。

 

今も中毒から抜け出せず、再スタートすら切れていない。

 

恐ろしき中毒症状。

 

植物油を身体から抜いて、視力回復を目指していたのに。

顎の下の肉が無くなってきたと思ったら脂肪は戻っている。

身体の肉は固くなり、便秘にもなり、視力低下も引き起こし、

全身詰まり放題。

 

分かっちゃいるけど、中毒からまだ抜け出せない。

小麦中毒が今は激しい。

 

年末年始に調子に乗って頂き物の菓子折りを食べてしまい、歯止めが効かなくなった。

がっつり4毒入りお菓子だったのだ。

 

人間、暇が増えるといらんことするなあとつくづく思う。

4毒食品に手を出したのもそんな暇な時間。

 

魔が差すとはこういうことなんだろう。

 

何かに没頭していない限り、この魔の手はいつでも横やりを入れてくる。

 

ときどき自傷行為かのように、ジャンクフードは食べたくなる。

結局これも中毒症状なのだろう。

 

中毒からの脱却でお金の使い道を今一度改めたい。

応援したい人が作るものへ支払う、これぞ社会への投資活動。

 

常に甘い感覚に侵されていた口の中は、

歯磨き粉使用を辞めると数日で消失した。

 

中毒の罠は、いつでもそこいらに転がっている。

 

身体に入れるものの原材料の確認と判断を確実に。

不必要なものには手を出さない。

引き算思考を新たに、再出発!!

 

 

 

 

 

2つの悩み・・・②

悩みのもう1つ、所持品が減らないことについて。

 

”所属が増えると荷物も増える”

このことに気が付いた。

 

夫の仕事の手伝いをちょこっとするだけだった私が、

昨年、電車通勤で働きに出るようになったのだ。

結果、今までのカジュアルすぎる服装よりオフィスカジュアルに移行した。

当然服は増えた。

 

今の勤めでは着ない服を処分するか迷い続けていたが、

通勤を辞めた時、オフィスカジュアルのままか自問すると、

やっぱり今まで来ていたカジュアル服に戻りたい気持ちがあった。

 

通勤では色味を抑えた服ばかりで、

今までのカジュアル服は派手な色味もある。

これを手放したところで、また着たくなって同じような服を手に入れそうだと思った。

 

公私が同じにはならない、なれない。

 

会社というグループでは自分の色を消す。

何も枠に囚われない身である時は、自分という色が出る。

使い分けせねば、自分が消えていってしまう。

 

似合う服、着たい服、着ることが出きる服。

これらの使い分けがいわゆるTPO。

いつでも同じ自分でいられることが一番楽だけれど、

TPOをわきまえていた方がもっと楽でいられる。

ソワソワしないから。

 

オフィスカジュアル

カジュアル

作業着

着物

今はこの4つのカテゴリー服がある。

 

すべて似合うものを所持しているので、今は良しとしよう。

 

ただ、物量が多いのは一目瞭然。

”これを気にしない”とはできない。

すべて可動させるようにして、もっと厳選していくか。

その厳選させる行動を起こす気にならない。

 

着替えるのが億劫だ。特に冬は。

 

衣類以外で物量を減らすか。

所属を減らさねば物は減らぬ。

 

生きている証として

楽しんでいる証として

未来に繋がる証として

物減らしへの執着を今は脇に置いておこうか。

 

物への執着よりも、物減らしへの執着の方が今は大きいようだ。

 

いったん立ち止まって、ぼちぼち行きましょう。

 

 

 

2つの悩み・・・①

今、2つの悩みに頭が占領されている。

 

①1つは、侮辱されたことを根に持っていること。

②もう1つは、所持品が減らないこと。

 

侮辱してきた人の心理がわからなさすぎて、

どうして私にあんな言葉を浴びせてきたのか。

 

関係性、年齢、立場、状況、どの部分をみても

侮辱される覚えはなく、むしろするべき相手ではない。

ただただ相手が距離感をつかめてなかっただけなのか。

 

当初は腹立たしさより、驚きの方が強かった。

 

今は、まず、近づかない、顔を合わさない、話さない、

これらを徹底している。

 

”なぜあんなことを言ってきたのか”

 

ここの探究心は消えぬままで、今も気になっている。

なので、あらゆる人に出来事の話をして意見を聞きたい。

話しまくりたい。

だが自制している。

結局は愚痴になるのと、話のネタにする人物が実際に存在しているから。

 

本音は自分の気のすむまで言い放ちたい。

言ったところで何も解決はしないが、どんな心理状況でそんなセリフが出てくるのかが色んな人の見解として収集したいのだ。

 

ここまで酷い人は今まで生きてきて、2人目だ。

2人にはいくつか共通点がある。

そんな共通項を持つ人に狙われやすいのかもしれない。

 

侮辱してくる人の特徴として、

コンプレックスが強く、妬みも強く、器が小さく、世間知らずで、経験不足なイメージだ。

尚且つ、厚かましく、無礼で、頑固で、目の前しか見えていない。

 

結論として、ひとりの人間と深い関係を築けずにきた人だと思う。

 

現代はそんな人ばかりになってきているように思う。

そんな現代人は、はっきり言葉にせず、あやふやな表現しかしない。

なのでぶつかり合いすら起きない、むしろあえて避ける。

 

協力的なのか無関心なのか、これからどんな世の中になっていくのか…

 

悩み①は、まだ手放せない未解決事案。