お世話をする立場にある人は、なぜお世話をするのか。
お世話対象者が世の中の規律からはみ出さないように、
お世話をいうものがあるのかもしれない。
と、ふと思った。
もし規律がなかったら、
お世話をする人は少ないのでは?
お世話する側もお世話されている側も、もっと自由になるのでは?
そんなことが頭をよぎった。
赤ちゃんのお世話。
まずは自分で歩けるようになるまでお世話する。
こどものお世話。
これから大きくなって社会に出ていけるようにお世話する。
お年寄りのお世話。
身体の不自由さが出てくるので、周りが支援する形でお世話する。
もし、独りよがりな状態が可能な世の中であったら、
お世話の必要性は感じないかもしれない。
現実は、
人間社会の中で生活している。
個々は社会の一部である。
もし、規律からはみ出しても良かったら、
頑張ってお世話する必要はなくなるかもしれない。
規律を遵守する人は、お世話を頑張りすぎているかもしれない。
規律。
ときには守れないことだってある。
人間は機械ではないのだもの。
規律。
もう少しあそびを持たせると良いかもしれない。
100点満点ではなく、60点ぐらいを保てれば許容する。
お互いの見張りあいっこ。
これが現代では行き過ぎなところがあるように思う。
寛容さの欠如によって。
現代のお世話は過度な対応も多い。
本来のお世話は支援程度ではないだろうか。
過保護の弊害も垣間見える昨今だ。
お世話の目的を見失ってしまっているのかもしれない。
「何のために今このお世話をしているのか」
ときどき立ち止まり、この自問自答をしてみたら、
お世話の仕方、お世話する時の気持ち、お世話の必要性など、
色々と見えてくるのではないだろうか。
規律通りのお世話ではなく、
規律内の我流のお世話ができると、
お世話がお節介ではない、お互いの喜びとなるかもしれない。
手を焼くのもほどほどに。