こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

仕事とは、なんだ?

仕事。

 

上司に言われたことをこなす仕事。

完成形が既にあり、そこを目指してする仕事。

いわば、マニュアルがある仕事。

会社のひとつの歯車になって働く。

ロボット化して働くとできる仕事。

それが仕事。

 

だと思っていた…。

なので、仕事はとてもつまらいとも感じていた。

 

が、最近違う認識の”仕事”というものを知った。

私と夫で、”仕事”の認識が違い、そのことで話が噛み合わずにいた。

私が思う仕事と、夫が思い描いている仕事、この認識の違いに気づき、夫の思う仕事へシフトしていくところだ。

だが、またある問題にぶつかった。

ここからは私の過去の話になる。

私は商業高校を出た後に社会人になった。そこでの仕事は経理補助。まさしくロボットとして働く毎日で、とても退屈だった。その後、同じ会社でパンの販売員もした。その仕事は事務とは真逆の重労働で、アルバイトと社員の格差が身に沁みた。今でいうブラック企業だったのだ。社員は仕事量が多く、勤務時間も長い。が給料はアルバイトよりも低かった。夜遅くまで勤務し翌日早朝出勤が、月の半分程あり、身体がもたない。半年で辞退した。

そのあとに勤めた会社はランジェリーのデザイン会社で、友人の紹介でアルバイトとして入り、仕事も楽しめた。やはりその会社でも重労働な社員がいた。そこで改めて、働くならアルバイトが良いなと感じたのだった。

ここでの仕事は性にあっていた。そしてまた夢を目指したいとの気持ちが芽生えたのだ。そこで、ここでの稼ぎを貯め、建築の専門学校(昼間部)へ入学することを決意した。入学後もランジェリー会社でアルバイトをさせてもらい、学校の課題が多くなるころに退社した。

その建築の専門学校で、初めて”自分の考えを受け入れて貰える体験”をし、充実した学生生活を過ごした。

そしてまた社会へ出る時が来た。

建築関係の仕事を学校から紹介してもらい、数社に出向いた。内、2社に実際に勤めた。そこでも、高卒後に感じたロボット化を体験することとなった。2社ともそうだった。そこで、学校は学校であり、社会は社会なんだと、再び愕然としたのだった。それから、建築関係の仕事はブラック社会なのが当たり前で、長い勤務時間の拘束と退屈な仕事内容に耐えれず、建築とは無関係なアルバイトへ転職した。

これまでの経験上、ロボット的な働きをするなら、時間とお金が釣り合うアルバイトが心身に負担がないためだ。

約2年毎にアルバイト先を変え、ロボット化した働き方が身体に沁みついていった。そんな中、結婚出産をし、専業主婦と育児をこなす毎日が始まった。

その新しい生活は、子ども優先の生活へと変貌していくのだった。いつしか自分を消して生活することが当たり前になっていった。独身時代の価値観や視点、思考や言動等、すべてが違う世界観へと移行していた。当事者である私は、それらが移行したことには気づかずに過ごしていた。そのため、夫とは喧嘩をよくしていた。

唯一変化に気づいていたことは、行動が保守的になっていたことだ。これまでは挑戦することが好きで積極的かつ活発に活動をしていたからだ。妊娠を経験し、出産を経験し、育児を経験する。身体の変化、心身の変化、環境の変化、役割の変化…。めまぐるしくあらゆることが変化する。私も夫も、目に見える変化にしか気づいていなかった。私は身体の内外の変化と共に、とてつもない進化をしていたのだ。

子どもが9歳になるころ、私の進化はとんでもないところまで辿り着いた。

世の中のあらゆることに、そこまで興味を持てなくなっていたのだ。

それまでは、手芸をたまにしては、自己満足のための作品作りに没頭することもあった。それが唯一の自己表現で自分の時間の楽しみ方でもあった。

だが、その手芸さえもしたいと思わなくなってしまっている。作品を作ったところで、その作品の行方は?物が増えるだけじゃないの?と思うようになっていた。

子どもが大きくなるにつれ、今まで貯め込んだ持ち物を減らすことをし、過去への執着も断つことができていた。ミニマリストを目指し、若き頃のミニマムさを取り戻してきつつある現在、物減らし願望が続いている。そんな中、作品を作ってしまってはまた在庫を抱えてしまうではないかと懸念したのだ。

そして今、”では何をして生きていくのか?”…”生きがいは?”…

そんなことよりも、ただただ生きていきたいと思うようになっていた。なので、なぜ働かねばならないのか?と再度思うようになり、苦悩している。

しかし、自営業の夫の助けはしたいと思っているため、夫と仕事について話合ったのだ。そう、執着を捨てすぎては、仕事ができないことに気づいた。過去への執着を捨てたばかりではあるが、仕事をするためには、専門学校時代の感情が必要だったのだ。

今、その修復作業中で、学生時代の作品を見ては当時のことを思い出し、課題に集中して取り組んでいた自分を呼び起こしているところだ。

夫のいう仕事とは、ゴールを自分で決め、どのように進めるかも自分で決め、仕事をやりきることが仕事だという。

これからまた新たな修行に挑むこととなった。世間体を気にしていては何もできない、何も始まらない。私は私だ。新たなスタート地点に立った。今後も幾度となく、新たなスタートをきれるように、進化していきたいと思う。