こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

ミニマリストに憧れたその先は…?

今から5,6年前に、ミニマリストに憧れて

物を減らしまくった時期があった。

 

ちょうど年齢との兼ね合いもあり、

当時の所持品がその時の自分に似合ってないものになっていたため実行した。

 

あとは、あるミニマリストの発信内容に、

「今いらないのなら手放して、必要になったらその時に再度買えばよい。」

という言葉に影響され、手放した物も多くあったと思う。

 

でも、今思えば、子供が大きくなってから手放すか考えても良かったような。

このあたりが物との向き合いが難しいところ。

 

なぜ今になってそう思うようになったかというと、

”歴史”は大事で知る必要があって、伝承するものだという意識が芽生えたからだ。

ここでいうと、私が今まで蓄えたモノたちは、言わば私の歴史でもあるのだ。

手放した大半は、嫌な歴史=嫌な出来事を思い出すものだったが、

その黒歴史があったから今の自分がいるとうことを、今の私は認識できている。

 

はたして、その黒歴史の物品を失くしたことで私はどうなったかというと、

頭の中にはそれらの歴史は染みついているので、

目に見える物質がなくなったところで、思い出さないようになったとはいえない。

いつでも思い出せることには変わりない。

 

他にも学校の卒業時にもらうアルバムも葬り去ってしまった。

これはさすがに購入できないよ。

後悔というよりは子供に見せてあげればよかったなと感じた。

人は皆、子供時代があって、学校を卒業して、色んな事が起きたり経験したりして、

今のような母になったのだよと、写真で説明するとわかりやすいなと。

 

結局のところ写真は、次世代へ自分の行動やら身なりやらを伝えるものなのかもしれない。

写真の無い時代でも絵で書き記して伝搬している。

 

このことに気づいたのがつい最近。

 

ということで、物量の多い時代を生きる現代人として、

物を減らすことに躊躇なく行動してしまうことは、

浅はかな考えにも結び付くと結論付けたい。

 

・まずは不必要に何かしらを買わない。

・長期間使えるものを選ぶ。

・モノのメンテナンスをする。

 

しかし一番厄介なのが、「飽きる」ことだ。

生きていれば”飽き”は生じることだけれど、

飽きたからすぐ新たに何かを購入してしまう安易な行動は制御して、

「足るを知る」を今一度脳裏に焼き付けて、

「欲」に振り回されないように生活する。

 

制御機能を取り戻せ!

知らぬ間にスマホ脳に侵されちゃってるよ。

 

考える力、工夫する力を今一度呼び起こし、

今の自分の持てる知恵と技術を駆使して、

モノたちと向き合う。

 

決断は 急がない 焦らない。

落ち着いて 半歩ずつ前へ。

後退りもときどきね。