こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

ひとときの快楽☆そのあとにはリスク…

昨日の私は、リスク回避より快楽を選んでしまった。

 

今住んでいる家には庭がある。その庭にそびえたつ大木の散髪を昨日実行した。

その大木の葉っぱが生い茂る真下にはガラスの天井の浴室がある。

前々から大木の散髪をしたいなあと脳裏にため込んでいた。

夫がのこぎりの柄を角材と繋ぎ合わせて長くし、高い枝を伐りやすくした。

そののこぎりは、とても伐り心地が良い!

調子よく気になる枝を伐り落としていった。そしてついに、太い枝へと手を出してしまった。

 

もっと庭に太陽が入れば明るくなるし、隣人も木を伐ってほしいようだったし、住み始めてから3年間枝を伸ばし放題だったし、今日はこんなにもうまくカットできている!気持ちがいい!もっと伐りたい!もっともっと!と、私は大木の散髪が楽しくなっていた。

 

気持ちが最高潮の時の光景は、見上げればのこぎりの届く切りたい太めの枝が、見下げればお風呂のガラスの天井。この太めの枝を伐れば、ガラスは割れるだろうと、安易に想像がついた。気休めで一枚保護シートをガラスにかぶせた。そしていざカット!

 

枝の半分を伐ったところで枝はひとりでに落ちて切断されるはずなのだが…まだ下りてこない。なのでのこぎりを入れ続けた…とその瞬間、受け取ることができずに天井のガラスに枝が激突。キャッチは間に合わず案の定、ガラスは割れたのだ。網入りガラスだったので、完全な貫通状態にはなっていないが、ガラスを入れ替えねば修復できる状態ではなかった。無残な姿にしてしまった。想定内の出来事ではあったが、この事実を夫に伝えるまで時間を要した。

 

まず、以前にこのガラスを入れてもらった近所のガラス屋さんへ出向き、相談に乗ってもらった。そして現状を見てもらい、採寸して、応急処置もご教授してもらい、見積もりをお願いした。ガラス屋さんは対応が速く、その日の夕方には見積もりを持って来てくれた。

 

夫へ自白したのは、ガラス屋さんに見積もりをお願いした後だ。メールで事実を述べ、陳謝した。電話がかかって来るかと身構えたが、意外にもメールで冷静な返事が来た。激怒されると予想していただけに、あっけない反応で少し拍子抜けもしたが、ひとまず難関を突破した。

 

そして、夜、夫が帰って来た。第二関門だ。夫と対面。私は夫から話しかけてくるまで口をつむいだ。最初は私をからかうように冗談めかして夫から声をかけてきた。が、時間が経つにつれ、夫も現状を観察し把握し、徐々に言葉にトゲが出始めた。次第に夫の口から罵倒するような言葉がチラつき、私は耳をふさぎたくなり、身が持たないと自衛のために早々と床へ逃げ入った。布団を頭からかぶり、夫の言葉の恐怖と自暴自棄の感情で独り静かに泣いた。夫は追いかけてこず、私は安堵し、朝まで眠った。

 

事件を起こした当日昼間の私は食欲が無く、飲み物もほとんど摂らなかった。気が気でなく、気持ちが落ち着かず、高揚感のような緊張感のような、ずっとそわそわしていたのだ。気疲れがすごかったのかもしれない。

 

そして翌朝、第三関門。夫がいつもより遅く起きてきた。また何を言われるのだろうかと私は再び身構えていた。

 

昨日の激高具合は夫から消失し、ガラス屋さんの見積もりで頼むよう私を促してきた。

 

メールで事故の報告をした当初は、元のガラス天井とは別の方法も考えると夫は言っていたが、それは断念したようだった。

 

夫のゴーの合図を受け、私は早速ガラス屋さんへ電話した。工事は早くて日曜日。現在、日曜日・月曜日は雨の予報。ガラス屋さんは、なるべく早くしてくれるとのこと。

 

あとは工事が無事に完了される日を待ちわびるばかりだ。

 

私の気持ちの変動はというと、ガラスを割ってでも木を伐りたかった。木を伐ることに爽快で快楽を得ていたのだ。人は楽しすぎると、快楽に浸り、高揚し、自制できなくなるのだと身を持って体験した。ガラスは割れたが、業者に頼めば元のようにはなるのだし、お金は出ていくが起きたことは仕方がない。割れたガラスの危険回避は可能!結果オーライ!と思っている。頭の中では、今でも、どうすれば伐った木をキャッチできたか、どのタイミングでのこぎりをやめればよかったか、改善策の映像を流し続けているのだ。二度と同じ過ちはせぬよう肝に銘じてはいるのだが、あの快楽をまた求めやしないか、自省の念は必要だ。

 

今回のこの件でわかったことは、叱ってくる人がいなければ、私はまた同じことをする恐れがあると気づいた。元々、失敗は恐れない性格で、失敗したい質でもある。自分が思い描いた通りに事(失敗)が運ぶと、やっぱりかと自分で頷くのだ。そして、その失敗を元に、改善策を思考し、また挑戦してみるのだ。

 

しかし今回は周りを巻き込み、金額も安価ではない。そこが一番の問題、一番の難点だった。大人の失敗は、事が大きすぎたのだ。そこは反省している。

 

何時でも自制心を忘れずに。

 

子どもたちの反応は…

ガラスを割った私に対してとてもあっさりだった。

”お母さん、やっちまったなあ”と一言。

夫がこのような反応の人種なら、昨日のような恐怖心は起きないだろう。

しかし現実は激高するタイプの夫だ。そこは要注意!

子どもたちもその夫の特徴を周知していたようで、”お父さんめっちゃ怒るやろなあ…”と夫の反応を想像していた。

 

夫の反応にビクビクしながら生活することに終止符を打ちたいと思っていた昨年。その関係を改善するべく私は日々自分の言動を見直し、夫の優しさも引き出せるようになってきていた。努力の甲斐あって夫婦仲も良好になっていった。その矢先の出来事だっただけに今回の失態は大失敗だった。

 

時折、”快楽に溺れ自滅する人”の話題を目にする。私もその一人に近いと気づかされる事件だった。

 

木には気をつけよう。