周りを気にし
自分を置き去りに
周囲との調和に励む
主観に行動し
自分さえ良ければ
周囲と対立しても構わない
主体にする者は自分か他者か
どちらが自分にとって心地よいのか
心地がよい方を選べば
それで自分が成り立つ
皆との調和を好む私と、いつも自分が主体の夫。反対の素性にお互い惹かれたのかもしれない…。そしてまたもや気づいたことが!協調性を大事にする人は、もしや地球規模なのでは?と思ったのです。
私たちは地球に住んでいます。地球人です。人間を主体にみると、人間社会の出来事があたかも宇宙の主役のように見えます。が、地球を主体に見てみると、人間は地球の一部にすぎません。そう考えると、地球の一部である私は、地球のために生きていると言っても過言ではないですよね。
地球のために生きるということは、地球上の生命との共存が前提になりますね。共存共栄。これこそが地球に生きる生物の使命!?
何事も何を主体と考えるかで、物事の見方・見え方が変わってきます。私は宇宙人はいるかいないかという話題に、そもそも自分たちが宇宙人では?と思ってしまうのです。宇宙からみれば地球人も宇宙人ですよね。
最近子どもによく投げかけられる質問があります。”それ高い?”と。金額のことをよく聞いてきます。しかし、何をもって高いと判断するのか。そもそもの前提がどこにあるのかいつも私にはわからないのです。そんな自分をみていて感じたことは、私はいつも自分主体で物事を考えていないということです。
その出来事は誰を主体に考えるのか、その物事は誰を主体に考えるのか、常々迷い悩む箇所です。夫からみれば訳の分からないことのようです。
私の中の主体はいつでも自由に変形し続けています。自分がないように感じるかもしれませんが、これが私です。あらゆるものに変化する、変身する、変化自在。
一秒前の自分と、今の自分と、一秒後の自分。全部違う自分、されど、すべて私自身。その変化の高速さについていけないので、変えない変わらない自分というものを作るのかもしれませんね。成長が早い子どもと同じく、大人も目に見えない速さで変化しています。
”他者思いは地球規模!”
そう思うと自分のことを、とても大きな器を持った立派な人間かもしれないと感じるのです。
自分を称えて、地球に貢献です☆