最近、発達障害等の言葉をよく耳にする。
誰にでも当てはまるんじゃないかと思ってしまう。
この判断基準、どなたを基準にしているのでしょうか?
良くも悪くも、一つ特異とするものを持ち合わせているから個性と呼ぶのでは?
その個性を活かすことで、世の中に貢献できるのでは?
個性が際立つと、何かの症名がつく今の世の中。
症名がつくことで、私はこういう人だという証明になる。
いるんですか?そんな証明。
差別のない世界をといっておきながら、差別させる症名がたくさん産み出され、
症名の授与がない人は、どこまで寛容にならねばならんのか。
誰かが作った方程式の答えに応えられない人が、発達障害?
AIみたいな対応ができる人が標準平均値の人?
みな人間なのよ。
AIに合わせてどうすんの?
書類づくりに関しても、現代はほぼパソコンで処理。
手書きで作成する方が時間短縮になるのに。
機械化することで何を目指しているのか?
それは均一化(AI化)なのだろう。
人間味のある人がどんどん減っていく。
あうんの呼吸ができない人が増えていく。
それってあなたじゃなくてもいいってことじゃない。
そんな世の中になっているから、命を粗末に扱う人間も増えてくる。
あなたは人間なのよ。
AIじゃないのよ。
都合の良いリセットボタンはないのよ。
だからこそ、ひとつひとつを丁寧に扱っていく。
命は使い捨てじゃないのよ。
大事にしながら全うして最期を迎えるのが命よ。
世の中に違和感を感じたら、それは直感が働いているということ。
その直感が気づかせてくれている。
レーンに載せられて、ただただ流されるだけの人生だと死にきれない。
均一化=機械化のレーンから外れて、人間味のある人生を。
差別化されて、個性を光らせて、社会貢献。
手仕事万歳!手作業万歳!
均一化された商品化。
均一化されたサービス。
有難みも味もない均一商品に均一サービス。
人間だからこそできる対話。
機械ばっかりを相手にしないように。
人間と呼んでもらえる人間であり続けたい。