こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

「病気」と言う名のレッテル?お墨付き?

世の中には本当にたくさんの病名がある

分類しているのだろうけど、その病名にだけ当てはめてしまうと危ない気がする

その人を総合的にみて、その病気に近しいだけであって、

その病気だけが原因の不調ではないことが大半だ

 

だけど、病院へ行って医者に診察してもらって、

○○病や○○症やらとお墨付きを言い渡されると、安心するのかなあ

医者による分類が確定されると、その病名の薬を貰う

薬を貰えたら安心するのかなあ

 

人はそもそも知っている情報内で判断する

医者ももちろんそうで、自分の知識内で患者を判断する

でも個人個人の詳細など知りはしない

結局のところ自分が自分のことを一番知っている

 

自分の詳細と、医者のお墨付きと、両方の情報により最終判断することが一番だ

 

今は探せば情報は色々と出てくる

症状についても調べれば知識は得れる

 

自分はこの病気であるとレッテルがあれば、安心する面もあるだろう

ようするに、世の中のどこかには自分と同じような症状に苦しんでいる人が少なからずいるのだということだ

ただ、そのレッテルが欲しいのだ

独りじゃない証のレッテル

 

自分の心身に今ある症状を、病気としてしまうのか、単なる不調とするのか、

はたまた体の周期による通過点と捉えるのか

これもまた人それぞれである

私は○○病かもしれないと思っても、今までを思い返すと、

大体が体の周期による不調だと気づく

○○病かも!?と思うこの「○○」には、その時々で違う病名が浮かんでくる

それだけ身体は常に一定ではないということだ

 

それをことあるごとに病院へ行っていては疲弊するだけだ

病院へいく労力、診察までの待ち時間、待ち時間より短い診察時間、

こちらの観察なしにパソコン画面と対話する医者、とりあえず処方する薬、

会計待ちの時間、薬局へ薬を買いに行く時間…

症状の改善って結局時間の経過が解決してるんじゃないの?としか思えない

 

最近出くわした医者は、早口で、せかせかしていて、こちらの話を最後まで聞かず切り上げる、追い返すような対応ぶりだったよ

 

現代人はみんな、何かに追われている、せかせかイライラ、心の余裕なんかないね

 

その要因としてひとつ服装があるなと最近気づいた

「着物」はそんなせかせかイライラを解消してくれるのではないかと思うように

次回は着物について書こうと思う