家。
何のためにあるのだろう。
無防備になる睡眠を守るため。
私物を並べるため。
荒天から身を守るため。
誰にも邪魔されない空間をつくるため。
最近の家をみていると、巨大化している気がする。
そんなに大きな箱はいるの?
箱が大きくなるとどんどん物が増えちゃう。
物置き化する家。
快適さよりも収納力を重視。
重たい家。
気の流れる道をふさがれた家。
どんどんどんどん閉鎖的に。
人との交流がミニマムに。
なんだか矛盾と悪循環。
今一度、家とは何か?問うてみよう。
私が目指す家は、ずばりテント!テントぐらい小規模で、持ち物も最小限にせざるを得ない小さな家に住めたらなぁと今は考えています。
敷地の大半が庭で、家は寝る場所だけぐらいの配分が理想です。
家が小さければ、物は増やせないし、家の掃除も簡単。外が広々しているので、アーシングも簡単。動物的な生活に近づけそうだし、もっと直観を磨けるように思います。
本能ももっと開花するかもしれません。危険予測が足りない現代人に欠けている動物的思考を取り戻すためにも、必要最低限な暮らしがもってこいな気がします。
家が大きくなった現代では、そこに住む家族それぞれに個別の部屋。一つ屋根の下に暮らしていても、家族内でマンション化しているように感じます。
家族間でのコミュニケーション不足。家族団らんの減少。個人主義。
食の欧米化と共に、家の欧米化も当たり前になり、個人主義が蔓延。
日本家屋の障子や襖の密閉度の足りない仕切りは、家の中でもコミュニケーションがとりやすいように思います。なんせ気配を感じますからね。いつも家中がつながっていることを空気で感じとることができます。気の流れをふさいでいないのかもしれません。気が流れていると、家族間の心もつながりやすいように思います。察することができるから。
家の機密性を高めると同時に、個人の機密性をも高めてしまっているのではないでしょうか。家々の騒音を少なくするのと同時に、言葉も少なくなった気がします。そしてご近所間のコミュニケーション不足にも至る結果に…。
デジタル化社会が進み、対人コミュニケーション不足はさらに大きくなっています。
住む家の形は、人の思考にも影響を与えます。
私の目指すテントのような家は、歴史で習う竪穴式住居なのかもしれません。アーシングもできて必要最低限な大きさ。初心に帰る。帰れるところまで帰ってみようと思います。