こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

前提による会話のずれと、各々の言語

夫との会話には度々ズレが生じる。

そもそもの脳裏にある前提が違うからだ。

 

自分が知っていることは、妻も知っている。

自分が考えていることは、妻にも伝わっている。

自分の意見の更新は、妻の頭の中でも常に更新されている。

 

夫の頭の中はこんな状態だ。

 

私の頭の中はというと…

 

私の知っていることは、知っている人も知らない人もいる。

私の考えていることは、どうでもいいと思う人が多い。

私の意見の更新は、発言しない限り私の中だけで起きている。

 

そしてもう一つの夫の特徴は、自分を一切疑わないこと。

疑いをかけるのは、他者のみで、被害妄想的である。

 

なので、平行線の会話で、交わることが難しい。

 

理解はせずとも、聞く耳を持ち、そんな意見もあるのだなと思うことができれば…

 

人は、共通語として生活している国の言葉を使うだけで、

実際には、各々の言語がある。

そのため、一つの文を誰かに通すと、その文は、通した人の色が着く。

似ている感性同士であれば、さほど誤差はないだろう。

しかし、思考回路が畑違い同士ならば、捉え方が大きく違い、そこで誤解も生まれる。

 

そんな中で人々は暮らしている。

 

勘違い、すれ違い、言い合い、日常茶飯事だ。

 

人々が理解し合うなんてほぼ無理な話だ。

それをわかった上で、会話を楽しみたい。

 

会話とは、自分という人間がどんな人物か他者を通して映し出すものではないか。

 

 

 

今日も誰かとの会話を楽しもう!

 

 

 

他者とだけでなく、自分と自分でも充分会話!

 

(私はこの自分と自分との会話をいつも楽しんでいる♪)