こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

モラハラ夫について②(加害者と被害者)

モラハラ夫 → 加害者

その妻 → 被害者

 

このような構図が世間でも広く表現されている。

 

果たしてそうなのだろうか?と私は疑問に思う。

 

加害者・被害者問題。

加害者=被害者

被害者=加害者

この関係は断ち切れないと思う。

 

そこに、加害者と被害者がいたものだから、

だから、ことは起きたのだもの。

 

加害者がひとりでいても加害者になったのか

被害者がひとりでいても被害者になったのか

 

誰もがひとりだと、加害者にも被害者にもなれやしない。

対象者がいないのだもの。

 

そこが”人間”だ。

人と人との間で物事が起きるから、

だから、

加害者や被害者が出てくる。

間があってこその加害者と被害者。

 

物事は必然なのか、偶然なのか、運命なのか…

 

確かなことは、人と人が出会ったことにより起きるということだ。

 

その場所に、その時間に、その人とその人が居合わせたから。

 

モラハラ夫の出現も、同じ原理なのではないか。

夫婦は鏡、親子は鏡、そんな言葉があるように、

妻の姿を映し出した結果、モラハラ夫になったのかもしれない。

と考えると、私が”モラハラ妻”の時期があったのかも…

疑念はぬぐえない。

幼児2人の育児と家事に、モラハラ化していたかも…

モラハラ言動を伝染させたかも…

 

”お互い様”なところもあるのだと思う。

 

被害者目線でいえば、モラハラ夫が悪く見える。

加害者目線でいえば、モラハラ化する理由もわかるような。

 

家庭内のモラハラ化の要因として考えられるのは、

 ・私がいつでも子ども優先で物事を考えていた。

 ・子どもに悪影響と思われることは夫へ制限した。

この2つが2大要因だと。

 

家の中に居場所がなく、しかも自由に過ごせない。

このことがかなりストレスだったのだと、今なら思う。

 

事あるごとに夫が言っていたセリフ。

「だから、家に帰ってきたくないんや!」

居場所がなく、自由に過ごせない家。

そらそうや。

 

父親と母親との思考のギャップも要因だ。

 

母親は、妊娠し出産し身体の劇的な変化に心のあり方も変化する。

父親は、身体の変化は特になく、心の変化も多くない。

 

そして思考のギャップはいつまでも埋まらない。今でも。

男女による表現力のギャップもあるため、会話もうまくできないときが多い。

 

それでもここまでやってきた。

私すごい。夫もすごいかも。

 

もっと俯瞰して世界をみて、

もっと俯瞰して自分たちをみて、

もっと俯瞰して第3者のつもりで物事をみてみれば、

何事も穏やかにやり過ごせるのかもしれない。

 

平和主義者を貫くためにも、

冷静な態度を忘れずに。