私の時代に私が感じた学校は…
「学校には枠がある。
すべてをルール化して枠を作る。
その枠からいかにはみ出ないようにするかという学校生活。
この意識では独自の意見は発言しにくい。」
私も大人になり親になり、時代もだいぶ変わったが、
学校という特性はあまり変わっていないようだ。
現学校でさえ何をするにも方程式があるようだ。
そうすることですべきことが分かりやすいという利点もあるが、
常にそうなると、動きが単調なロボット化した生徒になってしまう。
その方が先生からすると楽なのだろう。
何を目的とした学校生活なのか、考え直す必要があるように思う。
学校は学校なので、家では家で、また違う視点から子どもたちに物事を発信するようにしている。
どこにいる大人でも、ごもっともな意見もあり、ちょっといただけない意見もある。
ようするに、人は常に、正しいような間違いもするということだ。
一人の大人(自分も含む)の意見を鵜呑みにしないよう子どもへ声掛けするようにしている。
小学生のうちから、取捨択一&変更の意識を持って、社会に振り回されたり絶望したりせぬ生き方ができるように。
もう一つは、子どもが通っている習い事について思い悩まされることがある。
これも時代の変化なのか、近頃の若い者は…なのか、講師が学生だから…なのか、
習い事を開催している団体と講師(大学生)と生徒(子どもたち)
この三者の意思疎通がうまくいっていない。
・開催団体は、親にメールで連絡をする。
・講師から生徒への連絡はない。
・団体から講師への連絡ができていない場合がある。
・講師は各回、誰が来るかわからない。
・生徒は当事者なのに親からしか情報が流れない。
この習い事は、大学のサークル活動者が講師として来てくれている。
ボランティア感覚なのか、講師の行動はゆるい(遅刻など)。
当日都合のつく学生メンバーが参加している(顔と名前が不明な方ばかり)。
遅刻や突然の欠席はよくあることで、予定を振り回される感がある。
団体側の担当者も若い方で、子どもに直接意見を聞けばよい内容でも、子どもへは聞かず、保護者へ聞いてくる。その場に保護者がいなければ聞かぬまま。
時代の変化で済ませるべきか、大学生だからこんなものかと妥協すべきか、
コミュニケーション能力が欠けているのか、世代間ギャップなのか、
質問が出てきたときに団体か講師かどちらに聞いたらよいのか…
毎回的外れなわけで…
うまく機能していないようだということだけ確かである。
これからも世代間ギャップは出てくるだろう。
それらに思い悩まされながらも、若者たちに寄り添えればと思う。