こまにまにこ’s blog

夫と子どもをみていて感じること→そして自分の見直し+必要最低限な暮らしを目指して。

通過した時代により視点が違う”2”(学校と学生と世代間ギャップ?)

私の時代に私が感じた学校は…

 

「学校には枠がある。

 すべてをルール化して枠を作る。

 その枠からいかにはみ出ないようにするかという学校生活。

 この意識では独自の意見は発言しにくい。」

 

私も大人になり親になり、時代もだいぶ変わったが、

学校という特性はあまり変わっていないようだ。

 

現学校でさえ何をするにも方程式があるようだ。

そうすることですべきことが分かりやすいという利点もあるが、

常にそうなると、動きが単調なロボット化した生徒になってしまう。

その方が先生からすると楽なのだろう。

何を目的とした学校生活なのか、考え直す必要があるように思う。

 

学校は学校なので、家では家で、また違う視点から子どもたちに物事を発信するようにしている。

 

どこにいる大人でも、ごもっともな意見もあり、ちょっといただけない意見もある。

 

ようするに、人は常に、正しいような間違いもするということだ。

一人の大人(自分も含む)の意見を鵜呑みにしないよう子どもへ声掛けするようにしている。

 

小学生のうちから、取捨択一&変更の意識を持って、社会に振り回されたり絶望したりせぬ生き方ができるように。

 

 

 

もう一つは、子どもが通っている習い事について思い悩まされることがある。

これも時代の変化なのか、近頃の若い者は…なのか、講師が学生だから…なのか、

 

習い事を開催している団体と講師(大学生)と生徒(子どもたち)

この三者の意思疎通がうまくいっていない。

・開催団体は、親にメールで連絡をする。

・講師から生徒への連絡はない。

・団体から講師への連絡ができていない場合がある。

・講師は各回、誰が来るかわからない。

・生徒は当事者なのに親からしか情報が流れない。

 

この習い事は、大学のサークル活動者が講師として来てくれている。

ボランティア感覚なのか、講師の行動はゆるい(遅刻など)。

当日都合のつく学生メンバーが参加している(顔と名前が不明な方ばかり)。

遅刻や突然の欠席はよくあることで、予定を振り回される感がある。

 

団体側の担当者も若い方で、子どもに直接意見を聞けばよい内容でも、子どもへは聞かず、保護者へ聞いてくる。その場に保護者がいなければ聞かぬまま。

 

時代の変化で済ませるべきか、大学生だからこんなものかと妥協すべきか、

コミュニケーション能力が欠けているのか、世代間ギャップなのか、

質問が出てきたときに団体か講師かどちらに聞いたらよいのか…

毎回的外れなわけで…

うまく機能していないようだということだけ確かである。

 

これからも世代間ギャップは出てくるだろう。

それらに思い悩まされながらも、若者たちに寄り添えればと思う。