誉め言葉にもいろいろと表現の仕方がある。
最近でいうと、「脚が長い」「細い」「顔が小さい」という言葉があたかも誉め言葉かのように使われている。
そもそも、これらの言葉が誉め言葉として使う基準はどこから来たの?
日本人と欧米人を見比べて、体形の違いを批評するのは土俵を間違えているのでは?
動物の種類であれ、植物の種類であれ、大きなくくりは同じだとしても、
細分化した種類毎で見れば、それぞれの特徴があるのだ。
人種だってそうである。
昨今の軽々しく使われている誉め言葉は、巷に流されていた情報に思い込まされていただけにすぎないと思う。
それから装いにも関係する。
和服と洋服の違いだ。
日本人は着物がよく似合う。欧米人が着物を着るとアンバランスになる。
欧米人は洋服が着こなせる。欧米人の似合う洋服は日本人には似合わない。
こんな風に体形に合った装いがあるのだ。
だれ目線で物事を見るかで、選ぶ言葉は変わってくる。
日本人が日本人と欧米人を比べて批評したとき、大体が日本人を皮肉る発言になるように思う。私はそこに疑問を持ってしまう。
どうして欧米人優勢な見方なのか。
ここが情報操作による価値観のゆがみだろう。
和服を着た日本人と欧米人を比べたら、批評はどうなるだろう。
皮肉る言葉と誉め言葉、どちらも紙一重。
皮肉る言葉には自分自身のコンプレックスを
誉め言葉には自分自身の理想を
発した人の想いを載せて言葉が飛び出てくる。
公の場に出ておられる有名な方々は、ウェブ上で、この発言者たちの身代わりになっているところがある。
ウェブ上の発言者たちの自己投影は、限度がない。
言葉には言霊がついてくる。
皮肉が得意な発言者には、自身の発信した言葉を俯瞰して読んでほしい。
だれ目線で言ってますか?その言葉。
それから、公言する必要はありますか?
言葉遣いは、その人を現す。
だから、もっと慎重に言葉選びをしていこう。